少し前のことになりますが、2024年にシンガーソングライター・深谷エリさんの楽曲アレンジを担当させていただいた時のことを、最近ふと思い出していました。
今の時代は、音楽制作も驚くほど効率化が進み、
プラグインを使えば、どんな音も一瞬で「綺麗に」「それっぽく」作れます。
さらにSunoなどAI音楽制作が急速に発展してるので、
情報も含めて制作から発信まで「摩擦の少ない」時代になりました。
そんな今だからこそ、あらためて大切にしたいなと感じている感覚があります。
それが、最近僕が勝手に作った言葉ですが(笑)、
「リアい」という尺度です。
「リアい」という言葉について
ここで使っている「リアい」という言葉は、
この10年ほどよく使われる「エモい」を、自分なりに言い換えたものでもあります。
「エモい」はとても便利な言葉ですが、
どちらかというと情緒的・感情的な揺れを指すことが多い印象があります。
それに対して僕が言いたい「リアい」は、もっと切実な感覚です。
感情だけではなく、実際に身体がそこにあったか、
音が空気を本当に振動させたか、その場限りの再現性がないものなのか。
そうした物理的・現場的な「真実度」を含めた尺度。
「グッとくる」よりも、「嘘がないかどうか」。
その意味で、エモさよりも一歩踏み込んだ感覚を、
僕は「リアい」と捉えています。
レコーディング現場での一幕
深谷エリさんの楽曲のレコーディング中、ロック色の強い楽曲のエンディングで、
どうしてもギターで入れたい音がありました。
「今を自分を」という楽曲です。
楽曲の本編が終わってからも停止せずに聴いてみてください。(4:26~)
それが、制御しきれないハウリング(フィードバック)です。
パソコン上で「それっぽいフィードバック音」を作ること自体は、
正直いくらでも可能です。
でも、それだとどうしても嘘っぽく感じてしまう。
結局、ストラトをマーシャルに繋ぎ、ビッグマフを踏んで、アンプの前に居座ることにしました。
ビッグマフ(BIG MUFF)はJHSがリメイクしたものを使用しました。

納得いくノイズを録るのに30分
ハウリングって、意外と簡単そうに思われがちですが、
実際にいいタイミングで録るのはかなりシビアです。
ギターとアンプの距離、立ち位置、音量、角度、
ほんの少しの姿勢の違い。
楽曲のエンディングで「ここだ」という瞬間に自然にフィードバックさせるには、
結局、回数を重ねるしかありません。
結果として、本編が終わった最後のハウリングのために、
30分以上かかりました。
基本的に録っているときは死ぬほど爆音です。
耳栓もしなかったので、耳はキーンと痛むし、
終わったあとのマーシャルのヘッドは、触れないくらい熱くなっていました。
AIには再現できない「証拠」
でも、この耳の痛みやアンプの熱こそが、
その音が本当にその場で鳴った証拠だと思っています。
AIや編集では、結果として近い音を作ることはできても、
このプロセスそのものは再現できない。
そして最近は、こうやって言葉にしたりしないと伝わらないプロセスそのものが価値を持つ時代になってきているとも感じています。
「どうやって作ったか」よりも、
「なぜ、そこまでして鳴らしたのか」。
過程を伝えるのがより大事な時代になってくると思います。
90年代オルタナの「ノイズの美学」
この感覚は、僕が中学生の頃にどっぷりハマっていた90年代オルタナティブ・ロックのノイズとも強く重なります。
たとえば、Nirvanaの「Serve the Servants」。
この曲は、スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)がプロデュースを担当し、
マイクの置き方も非常に独特で、床に無造作に置かれることもあったと聞いています。
(以前に書いた90年代オルタナのノイズに関するブログでも言及しています。)
こうしたマイクの配置は、空気を取り込む感覚、
つまりその場の空気感を捉える発想の表れであり、
今の時代にもますます求められるものだと感じます。
エンディングで鳴り響く制御しきれないフィードバックやハウリングには、
単なる歪みを超えた、感情そのものが露出したような真実味があります。
あの音は、綺麗に作ろうとして生まれたものではなく、
ギターとアンプと身体が衝突したその場限りの結果としてそこに刻み込まれている。
「リアい」瞬間の積み重ね
効率化が進み、世の中から摩擦が減っていく今、
あえて不器用でも、嘘のない、生の実感がこもった質感。
バンドサウンドの面白さって、
結局はこうしたリアルな瞬間の積み重ねにあるんじゃないかな、と思っています。
こういった真実度や非効率的な温度感といった尺度を意識して、音楽制作やレッスンでも取り入れて行きたいと考えています。


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