生徒さんと話をしていて、ふと気づいたことがあります。
「上手くなりたい」と言うとき、その「上手い」という言葉が、僕とその人とでだいぶ違う意味になっている。同じ単語を使っているのに、前提がずれているんですよね。これってけっこうな割合で起きているんじゃないかと思っています。
なので今日は、その「ずれ」について書いてみようと思います。批判というより、自分の立っている場所を一度ちゃんと開示しておきたいという気持ちで書いています。
僕が「上手い」と言うとき
僕が使う「上手い」は、現場で役に立つ、という意味にかなり寄っています。ここで言う現場とは、レコーディングやライブのことです。
音源制作やステージできちんと音楽を成立させられる。リハで的確に指示が出せる。音源や譜面から読み取れる。テンポやグルーヴが不必要に揺れない。メンバーとちゃんとコミュニケーションが取れる。
そういう総合的な力のことを、僕は重視しています。
一方で、ネット上での「上手い」は、たとえば「ショート動画で映える速弾き」だったり、「特定の曲の完コピ」だったり、もう少し局所的な意味で使われていることが多い気がします。
どちらが正しいという話ではないんです。ただ、同じ言葉を別の意味で使っていると、アドバイスや会話が噛み合わなくなる。だからまず、自分の使っている「上手い」の輪郭を書いておきたいなと思いました。
YouTubeにはあまり映らないもの
僕が「現場で役に立つ」と言うとき、頭の中にあるのはこういう能力です。
- 音感
- 読譜力
- 適切なダイナミクス
- タッチ、音色、音の長さのコントロール
- リズムの正確さ
- 小節管理(今どこにいて、どこへ向かっているかを見失わない感覚)
- テンポを保つ力
- グルーヴ
- 音作り(EQの判断、低域の重心の取り方)
- フレーズの引き出しの多さ(具体的な楽曲のフレーズを知っていて、実際に弾ける)
- ジャンル理解の深さ
- アンサンブルを瞬時に判断して、自分のパートを適切なものに変えられる力
- リハーサルの進め方
- 譜面の書き方
- メンバーとのコミュニケーション
- …etc
書き出してみると、けっこうな数があって自分でも驚きます。挙げきれていないものも、まだいろいろあります。
これらのほとんどは、ショート動画やタブ譜には映らないんですよね。
批判したいわけではなくて、構造的に映らない、ということです。
アンサンブルの中で自分のパートをどう変えるかなんて、画面の前で一人で弾いている動画では表現しづらい。リハの進め方は、そもそも撮影されづらい。譜面の書き方も、出来上がった譜面は出回りますが、「どう書くか」のプロセスはあまり表に出てきません。
YouTubeやインスタが悪いというより、SNSというフォーマットが「見せやすいもの」に最適化されているだけだと思います。だから「見せにくいもの」はあまり流通しない。それだけの話です(タブ譜そのものについての考えは、ドレミ〜を覚えよう!〜タブ譜のメリットとデメリット〜にも書きました)。
身体知と感覚知について
そしてもうひとつ、これらの能力に共通しているのが、頭で覚えるというより、身体と感覚で覚えるものだ、ということです。
たとえばグルーヴ。世間では「揺れ」や「人間味」みたいに語られることが多いですが、僕の感覚はちょっと違っていて、基本的には正確性の上に成り立っていると思っています。
バンドのクロック(リズムの時計の針)に対して、アタック・リリース・タイミングなどをどのように周期性をもって表現するのか。
揺らぎではなく、揃え方の解像度が重要になってきます(このあたりはライブで食らったマイケル・ランドウの『一音』や精度が高く、グルーヴィーなカッティングの名手たちに詳しく書いています)。
この「精度」は、ある程度までは言葉にできます。「ここでアタックが2〜3ミリ秒遅れると重く聞こえる」とか、「リリースを揃えるとアンサンブルが締まる」みたいな話です。でも、根本的には、自分の身体で何百回~何千回と試して「ああ、このタイミングか」と感覚をつかむしかないありません。
これが、僕がずっと大事だと思っている「身体知」と「感覚知」です。
僕自身、ほぼ毎日、長時間ギターを弾いてきました。その時間と現場経験が積み重なって、いちいち考えなくても身体、聴覚が「これは違う」「これは合っている」を判別する瞬間が、少しずつ増えてきました。これは情報を読み込んで得たものではなくて、千本ノックみたいに反復した結果として、身体の側に残ったものです(このあたりの考えは「練習」をするということにも書いています)。
身体知や感覚知は、現代ではちょっと軽視されがちかもしれません。理由はたぶん、言語化しづらく、視覚化しづらいからだと思います。言葉や目に見えないものは、SNSで共有しにくいし、検索もしにくい。でも、現場で実際に音楽を成立させているのは、かなりの部分この身体知と感覚知だと、僕は感じています(AI時代にギターを習う意味でも近いことに触れました)。
耳コピのこと
少し話はそれますが、身体知、感覚知を育てる方法として、僕は耳コピを強くおすすめしています。
タブ譜や解説動画を見れば、指板でどこを押さえたらよいのか、簡単に手に入ります。
便利だし、僕も普通に使います。でも、「耳で音を探す」というプロセスをまるごと飛ばしてしまうと、聴覚の解像度が育たないんですよね。「この音かな、いや違うな」とフレットの上を探っていく、あの地味な時間が、耳とフレットボードを直接つなぐ回路をつくっていきます。
また、何度も繰り返し聴くことで音色やダイナミクスに対する解像度も向上されますし、そのフレーズセンスが身に付く。
短期的にはタブ譜のほうが圧倒的に速いです。それは事実です。
ただ、耳コピで育つもの(音感、タッチ、音色など)と、タブ譜で得られるもの(指板上の視覚的情報、フィジカル)は、たぶん別のレイヤーの話なんです。
どちらかが要らないというより、どちらも役には立ちます。
でも前者をスキップしたまま進むと、能力の頭打ちが来てしまう。そんな経験があります(具体的な進め方はギタリストのための耳コピのコツや耳を使って感覚を養うにまとめてあります)。
最後に
書きながら、これが辛気臭く聞こえないかな、ということを少し気にしています。でも正直なところを書きます。
僕は、ここに挙げた能力群は、楽器をやっていく上でかなり本質的なものだと思っています。自分の中では「これが土台」という位置づけです。
もちろん、楽器との関わり方は人それぞれです。一人で気持ちよく弾ければそれで十分、という関わり方も完全にアリだと思いますし、それで日々が豊かになるなら本当に素晴らしいことです。
趣味として役に立つこと、楽しめることの価値は、心からそう思っています。
ただ、実際に誰かとバンドで合わせてみたり、音源にしてみたりしたとき、「あれ?思っていたよりうまくいかない」という場面はけっこうな確率で出てきます。
一人で弾けていると感じていたフレーズがアンサンブルの中で機能しない。
テンポが合わない。拍がわからない。リハで言われていることがピンと来ない。そして、その「あれ?」を埋めるのに、また別の時間と労力がかかります。
僕がレッスンで、耳コピを勧めたり、リズムの精度に時間をかけたりするのは、その「あれ?」の誤差をできるだけ減らしておきたいからです。
生徒さんが人前で音楽を聴かせる場面に立ったときや音楽制作をしたときに、思っていた通りに音楽ができる状態にしておきたい。
あまり前面に押し出して語ることはなくても、レッスンの裏側では、それを考えながら課題を組んでいます。
もし今日の内容のどこかが少し気になったら、いちばん身近な曲をひとつ、タブ譜を閉じて耳だけで探ってみてもらえると嬉しいです。
最初は遅いし、間違えるし、しんどいと思います。でもその時間は、必ずどこかで効いてきます。少なくとも僕はそうでした。
レッスンでは
遠回りに見える道、遠くに見えるゴールでも結果として最も効果を発揮できるようにスキルを磨ければと考えています。
即効性が薄いレッスン内容こそ、しっかりと伴走したいと思います。
※レッスン詳細についてはこちら



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