Vitamin Studioの田村です。 今回は、私自身が試行錯誤しているディープなリズムの話をしたいと思います。
1. レコーディングでの指摘「正解なのにお前だけ浮いている」
かつて私が、あるレコーディング現場に参加した時のことです。 コントロールルームで、先輩ミュージシャンからこう指摘されました。
「リズムは合ってる。合ってるんだけど……なんか田村くんだけ浮いてる感じがする」
その時の感覚を言葉にするなら、「カジュアルでリラックスしたパーティー会場に、一人だけネクタイをきっちり締めて参加してしまった」ような居心地の悪さです。
周りはTシャツやジーンズで自然に楽しんでいるのに、私だけが「正装(正解)」にこだわりすぎて、場の空気(グルーヴ)に馴染めていない。
なぜグリッドに正確に弾いているのに「浮く」のか。
当時の私には、その正体が全くわかりませんでした。
2. 「絶対的な定規」としてのグリッドへの固執
その原因は、私がリズムというものを「絶対的な定規(グリッド)の上に、点を打ち込む作業」として捉えていたことにありました。
当時、私は「正確なリズムこそが、あらゆるジャンルで通用する汎用的な基礎である」と信じ、DAWのグリッド線に波形のピークを合わせる練習を1日5時間も行っていました。
この「正確さを基礎とする」考え自体は、今でも間違いではないと思っています。
しかし、実際のレコーディング現場での私は、「バンド内で共有される時計(クリック)」よりも、頭の中にある「固定されたグリッド」を優先させてしまっていたのです。
また「点」で捉えることの弊害もありました。
音響的に見れば、音はピークの瞬間に点として存在するのではなく、立ち上がりから減衰までが連続しています。私はそれを「点」として捉え、定規の目盛りに打ち込むことに躍起になっていました。
その結果、円を描くようなバンドのグルーヴから切り離され、私だけが硬直した「点」を打っていた。
それが「浮いている」正体でした。
3. 高崎芸術劇場での衝撃:クロックと有機的グルーヴ
私が、自分の演奏がいかに「点」を狙っただけの作業だったかを思い知らされたのは、高崎芸術劇場で観たスティーブ・ガッド・バンドのライブでした。
※Steve Gadd Band – The Wind up (2015 Budapest)
そこで体感したのは、バンド全員が共有するリズムの時計の針=「クロック」の圧倒的精度と、それを元に紡がれる有機的な円形のグルーヴでした。
ここで言うクロックとは、デジタル上の絶対的なグリッドではありません。「共演者、編成、その場に生成される、相対的なリズムの中心線(現場のメトロノーム)」です。
ドラムだけでなく、全員の体内に解像度を持つ共通の時計が流れている。
通常のプロのバンドのクロックが0.01秒単位の精度だとすると、0.001秒単位のような桁が違う精度。
その揺るぎない中心線を基準に、フレーズによってレイドバックしたり、自在な演奏をしていました。
そして、タイトであるにもかかわらず、なだらかな一筆書きのようなグルーヴ。
彼らの音は互いに溶け合い、大きなうねりとなって流れていました。
私の出していた音が、いかに硬く、連続性に欠けるものだったのか。また、クロックの「精度の差」を突きつけられた瞬間でした。
4. ランドウの「一筆書き」と、戦慄したチョーキング
そして、マイケル・ランドウが音を出した瞬間、私は完全に打ちのめされました。
ライブの一曲目、ランドウのソロ。
出だしの、たった一音のチョーキング。
そのタイミングがあまりにも素晴らしかったからです。
彼が紡ぐ一音一音は、バンドが生み出す音の立ち上がりから減衰までを、滑らかに、有機的に繋いでいく。まさに「一筆書き」の極致のような演奏でした。
圧倒的な精度のクロックの上で、さらに美しい「円」を描く。 その一音の説得力は、私が必死に目盛りに合わせようとしていた「点」の積み重ねとは、全く別次元の音楽であることを体感しました。
5. 結論
私がかつて指摘された「浮いていた」原因は、リズムを「定規の目盛りに点を打つ作業」として捉えていたからです。
対してランドウは、バンド全員で超高解像度のクロックを作り出し、その上で「線」を、「歌」を描いていました。
もしあなたが今、リズムの精度を上げようとしているなら、その道は正しいと私は考えています。
しかし、目指すべきは「ただ単にグリッドに合わせようとすること」ではありません。
- 体内に高精度のクロックを持ち、共演者がもつクロックを解像度高く感じ取れるようになること
- その上で「点」ではなく「円(連続性)」を描くこと
あの高崎の夜、ランドウのチョーキング一発が教えてくれた「精度と自由の融合」。
私自身もその境地を信じて、これからの練習に励みたいと思います。
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